昭和49年10月01日 月次祭



  い 
よいよ十月の月に入らせて頂きました。御大祭月御本部参拝月。ここ(合楽)からは十日の御大祭を頂きます。この御大祭が、愈々十六日であります。愈々合楽示現活動に参画される方達が、本気で御用をなされる様に段々なって参りましたけれども、まだまだ徹底したと云う事ではありませんけれども、これは合楽に御神縁のある者が打って、一丸となって、その御用に携わらして頂かなければなりません。
 今日田主丸の石井さんが、もう二度目のお参りの時だったでしょう。自分の所の縫い子さん。呉服屋さんですから。妙な言わば病気をなさって、難儀をしとられる。行く度にお話をされるけれども、自分が中々説得性がないもんだから、中々「うん」と言って言う事を聞かない。「本当に私が、お参りなされば、自動車で送り迎えはするから」と言うけれども、中々参ると言わない。
 そして今日もそう云う事を話されましたけれども、お参りにならない。そうしたお届けがありましたから、私が昨夜毎月、月の最後の日の夜の御祈念を終わらせて頂きますと、まあ何時も三十名くらいの人達が集まりまして、ここにこう輪をかいて、信心いわば神話発表会とでも申しましょうか。いわゆる御礼神話会というのが毎月あります。まあ一と月を振り返らせて頂いて、本当におかげを頂いて有難かったと云う事を、まあ一と言づつ発表する訳です。これは神様への御礼の気持ち。
 そして又新しい月を迎えるに当たっては、今度は愈々どういう信心をさせて頂いたなら良かろうかと云う事なんです。ですから言うならば丁度親神様の前で、子供達がこう輪を作って親〔神〕様のおかげで、今月も無事おかげを頂いてきたが、来月はどんな信心をさせてもろうて、喜んで頂こうかと言う話し合いをするのですから、神様が喜んで下さらないはずはありませんよね。丁度親の前でそのどげんしたなら親が喜ぶじゃろうかというて、親孝行の話をするのですから、親が有頂天になって喜びますよね。
 親が何を願え何を求めておるか。その願いにいかにして答えるかという、言わば神話会。お話で御座いますからね。その中で吉井の熊谷さんが発表しておられました。今まではまぁ言うなら二十五年間、お里がここのから島と言う所であります。弟さんも奥さんも中々。所謂大学出のインテリであります「合楽にお参りせよ。合楽にお参りを」とお話されるけれども、お話をされると奥さんだけはスーッと立って行きなさる。
 もうそれが二十五年間繰り返されとった。そしてある時などは「合楽の先生ちゃ馬鹿のごたる人じゃね」と言いなさる。「学問は全然あんなさらんげなし。そげな人の話を聞いて助かるちゃちょうとおかしいと言う様な話が、村内ではもっぱらですよ」と。そげん所には、私はお参りせんと言う様な態度だった。成程私は無学ですし、ばかんごたる男ですから、それは嘘ではありませんけれどもね。しかし人が助かっておるという事実は事実なのです。所がですその日に限っては、何か知らん何かの御用でおい出られましてから、丁度家族中が揃うておられた。
 今日は熊谷さんが行くのじゃない。神様が先頭に立っておって下さるんだ。神様から、示現活動参画のお許しを頂いておるのであるから、神様から話させて頂くのだと思うて行かれた所が、その弟さんがね、色々と求められる。所謂そこのおいごさん達も奥さんも又、弟さんも皆その、そういう話を向こうから求められると云う事になってから、まあどうしてこういう話が出来るじゃろうかと言う様に、ぶっ通しに夕方までお話された。もう愈々関心された。
 「今まで本当に二十五年間。あなたがお話して下さるけれども、聞こうとも思わなかったし、読もうともしなかった。そして立ち上がり立ち上がり、「おかげの泉」あの御本ですから、二回通りも読ませて頂いて、とてもこの御本というものは、無学の人やら馬鹿やらが話せる話じゃないですね。お姉さん」という事じゃった。言うなら樺目の先生の値打ちが出て来た訳です。そして今夜はどうでも泊まって行ってお話をして下さいと言うて、お話を求められた。
 明くる朝「朝の御祈念に私共も連れていって下さい」と言うて親子夫婦。熊谷さんが朝の御祈念に、から島から参って見えられたと言う様にです。神様が先頭に立って御座るというのが、そのまま合楽示現活動だと思います。それに私共が参画させて頂く。私が話すのじゃない。私が導くのじゃないと言うて、私共が腕こまねいておるだけであっては、愈々二十五年間、合楽で通ってきた事と同じ事になりますから。
 とにかく嘘を言う事はいらん事実の話をです。自分がおかげを受けてきた事実をそのままに人に伝えて行く。聞くとか聞かないとかは問題ではない。電車の中でも良かろう。バスの中でも良かろう。自分の知っておる周辺の方達に、愈々合楽を示現する。言うならば示し現わして行く所の運動。そういう活動をさせてもらうと云う事。それが一つの運動ともなって、愈々世界の輪がです。
 日本中だけではありません。これが、世界中に広まり、広がって行かなければならない、内容を持っておるのであります。又でなからなければならない程しに、世の中と言う物は、急迫しているのであります。その事を私は今日、石井信司郎さんにお話致しました。そしたら一、二時間したら、又参って見えとります。見知らん方親子の方でしょう。見えとられますから、もう今日の朝から、とにかく御広前が賑いました。
 今日は、朝の御祈念の時などは佐世保、佐賀熊本、小倉本当に九州全土から集まっとると言う様な具合いでした。もう今日午後からのお届けなんかは、両方のお届けで、ずうっと、私が四時の御祈念迄させて頂くと言う程しに、賑いました。私が立つ時、丁度六百五十名でした。四時の御祈念にと言う程にです。例えばそういう方達が皆んな、その合楽示現活動の働きに、催しに催されておるその働きに、言わば催されて見えておるという感じであります。
 先程親先生から、とにかく自分が行くと思いなさんな。神様がお先に立っていって下さるんだと言うので、又信司さんが、その丁度この様な方です。竹野村が、又行かれて、今度は言わば本人とそのお母さんとを一緒にお導きして、お参りをして来られた。話を聞けば聞く程、難儀なる病気と言う様にです。もう自分ではない。やはり神様に許されたとか、おかげを頂いたという事になって来なければならない。
 今日午後から、鳥栖の市長さん達御夫妻が、明日こちらの御広前にお引き寄せを頂きたいから、先生のおい出られる時間はという問い合わせがありました。そこへ丁度久留米の市長さん方が、奥さんそれから秘書の方、まあ何時もの様に、一同でお参りになられとる。丁度私が参られた時に、電話が掛かっておったのが、伊万里の竹内先生でした。今度、あちらに高松の宮殿下がお見えられました。野球場が出来たんです。
 丁度二十六日から三十日までの間の御天候のお繰り合せを願ってあった。そのお礼のお届けで御座いました。おかげを頂いて、今日はこんなにお湿りですけれども、そういう中をぬう様にして、もうこれは特別の願い。所謂個人の小さい願いではない。ですから今日、あの御初穂を整理する時に、竹内先生の分だけ、私はまとめてです。その引き出しに入れとる所であった。それで近くの人が見えましたからです。
 ある大変な問題なんです。ですから先生、どういう心掛けにならせて頂いたら、おかげが頂けるだろうかというお話で御座いましたから、竹内市長からお礼の出来ておる、御初穂のそれ見せた。そして何時も毎日お参りが出来てませんから、何日おきにかこうやって。第一この「歓天喜地」神も喜び地も喜びという。そういうおかげの頂けれる様にという願いに対して、所謂「寒天危地」いわゆる神様が寒い思いをなさり、地上の上は危機が迫っておるという事の御理解を、私は今日はその市長さんに。
 久留米の市長さんにお話をさせて頂いた「合楽の示現を、市政の上に」これは御礼を書いてある、まあ色々とね。もう市政の上にほそぼそといろいろお届けがして御座います。これを一つ一つ見せました。言うならばです。市長さんあなたがです。もう言うならば、誰が市長になるよりも、ちかみ市長が市長になった方がです。久留米の市民が助かるんだと。久留米が発展するんだと。私以外の者の誰よりも、自分の願いの方が正しいという確信を持ってです。市政の上にもこういう願いを持たれる様に。
 いわば心掛けられる事が、あなたの今日の願いが成就する事だと言うて、お話した事でした。ただ自分の見栄の為。自分の顔が立ちさえすればと言う様な事ではなくてです。市長さんとして、いよいよ久留米市の発展の為。又久留米市民の助かりの事の為にです。あなたが日夜、その事におかげを頂いておるという、それが確信ともなって来るならばです。必ずあなたの言わば顔は立つ事になりましょう。あなたがおかげを受けられる事になりましょうと言うて、お話をさせて頂きました。
 やはりね、そこには一つの願いの筋と言う物が立たなければいけない。そう言う意味においてです。ここで言われる所の五つの願いと言う様な願いと言う物が、どの様に願わなければならない事か、又はそれに筋道たてなければならないかと言う事を感じます。一つ「どうでも体の丈夫を頂かせて下さい」と言う事。二つ「いよいよ家庭の和を頂かして下さい」家庭に不和のなきが元と仰せられるのですから、この「家庭に不和のなき元を頂かして下さい」という願い。
 愈々「子孫繁盛、家繁盛の大みかげを頂かして下さい」これは言うならば商売の者なら商売繁盛につながる事でしょう。お百姓さんなら五穀豊穣の事であります。そういうおかげを頂かして下さい。どうぞ健康にならせて下さい。家庭も円満にならせて下さい。どうぞ商売大繁盛、言うならそれが私一代じゃない。子の代孫の代と言う様に、愈々子孫繁盛、家繁盛の大みかげになって参ります様にと言う事。
 そういう例えば、願いだけではなくてです。そういう願いが、合楽示現活動のおかげを頂く事のために、おかげを頂かして下さい。四つ目に、「真実の御用ができますように」五つ「天地の親神様の願いが成就する。その事の為にお使い下さい。」というのです。それには、お金もなからなければ出来ませんし、家庭が円満でもなからなければなりません。健康でなからなければなりません。
 家庭中が勢を揃えとらなければ出来ません。その為にです。私共が五つの願いを、愈々成就する所の、おかげを頂かなければなりません。今日午後から北野の鈴木さん達が一家中でお参りをして来ました。先日この二十九日が生誕祭で御座いましたから、七十以上のご老人の方達をお招きして、お祭りを一緒にさせて頂いてそれから新館で、浪花節を聞いて頂きました。その前に沢山のお供えが集まっとりましたから、そのお供えを皆んなに一人一人にお配りしようと言う事になった。
 丁度点数も五十三人でしたから、五十三点あるわけです。けれども色々様々ですから、お菓子もあれば、お酒もあるという訳ですから、それでくじ引きにしようと云う事で、くじ引きが出来ておりました。本当言うたらこのくじ引きに、御理解の一つも付けると、まだいいんだけれども、そういう時間がありませんから、私がその時お話を致しました。「皆さんが、ここのどれを引き当てなさるか分からんけれども、引き当てなさった品物から、神様の心を解らしてもらう。
 的確におかげの頂ける様に、おかげを頂けます様にと言う事を言い添えておりましたから、幾人かの方達かは、その事の私はこういう物を頂いた。私はこういう物でしたが、どういう意味のあるもんだろうかというお伺いがありました。まだ浪花節の終わらない時分でした。北野の中村さんが、私のところに見えられまして、「先生。おかげを頂いて、こういう物を引き当てました。私はもう本当に他に願う事はありません。もう願う事は、今孫の安代の事ばかりで御座います。
 その事に付いておかげを頂かなければならんが、どういう信心をさせて頂いたならば、おかげが頂けるか。そういう御心を分からせて頂く様な物。引き当てる物はどんなに小さい物でも、お粗末な物でも良いから、どうぞおかげを頂かして下さいと言うて祈りながら引かして頂きましたら、こういう物を引き当てたと言うて見えました。どこか宮崎辺りからのお土産でした。大きなビロー樹のうちわの絵の中に、ガチャ豆という。これは豆のお菓子か何かではないでしょうか。
 ガチャ豆。それこそ中村さんが願うておられる事をそのままに下さったわけです。もう言うならば誰が見たって、これで生きてる方が不思議なくらいに健康と云う物は、もうガチャガチャなんだ。その豆がねガチャガチャなのだ。これをお救いを頂き、これを助けて頂くと云う事の為には、この大きなビロー樹の団扇の絵にある様に、「内輪の者の信心によらなければ、助かる事はできないぞ」という御理解です。素晴らしい。神様がそこにものを言うて下さってある様でしょうがね。
 私が今ただ孫の安代の姿を見ておってです。婆様としてはもう本当に切実に病まれん思いで神様にお縋りしておる。本当に成程健康という事は、ガチャ豆であるけれどもね、これを内輪の者が勢を揃えて、一心におすがりするならば、又おかげは別だという意味なのです。森部の高山さんが、その後に見えられました。それには文明堂のカステラを引き当てておられました。だから私は申しました。「高山さんカステラ饅頭でフワーフワーと言おうがの」と言いました。
 だからふんわりしたカステラ饅頭のごたるあなたに。「先生。それば言われると辛い。それだけなんです。私がおかげ頂かなければならんとは」とにかくカステラ饅頭が、フーワフワと言う様な頂き方。そして番号が四じゃ。だからあんたが例えば「し」で受ければ「し」であるけれどもこれを「よん」で受ければ「良」と言う事になるんだ。もう自分の心の受け方、頂き方一つなのだという御理解でした。今日もそこの堤さんがお参りさせて頂いて、この頃ちぃたあの、非常に涙もろくなっておられる。
 私が顔を見ただけで涙をボロボロ流される「親先生今度は大変生誕祭には、おかげを頂いて親先生。勿体ない勿体ない、勿体ない物を引き当てました。」と言うから「何を引き当てたか」と聞いたら「勿体のうして、勿体のうして言われんごと勿体ない」と言われる。しかし本当そうだろうと思う。長年信心の稽古をさせて頂いて。頂いておるそのままの御理解を頂いておるからなんです。それがどう言う事かと言うとね。
 亀甲印のおこしの箱を一箱頂いておられる。しかも、私の番号は八番で御座いました。八番とは親先生が何時も言われる様に、広がりに広がって行くおかげが受けられる。しかも亀甲といえば、親先生のと言われておる、そのおこしを引き当てたというのですから、有難うして勿体のうして、ものも出らんぐらい有難かった。けれどもねおこしという物は、こげな風な昔はね芝居なんかで、中村さんが古い言葉で「寝とる者は起こせばいい」と言うでしょうが、寝てる者は起こせばよかと言うてある。
 だからね言うならば、堤さん今あんた方の信心は寝とるとばい。ここに一丁本気で目覚めさせて頂いて亀甲しかも、広がりに広がる所の八の字のおかげを受けなければいけないよと申しました事で御座います。例えばその三つのです、なら事を私がお取次させて頂いて、ほんにそれをそのまま、神の声と頂かなければおられない程しに、的確で御座いましょうがそこでです。例えばなら現在の合楽示現活動というのがです。先日から二十六日、二十七日間、全国から若い先生方が三十名ほど集まりました。
 そして私の話を二日間に渡って、前の日は四時間翌日は六時間。都合十時間お話を聞いてもらいました。それはもう全て、合楽示現活動のお話ばっかりで御座いました。その為には私共がこういう信心にならなければならない。こういうあり方にならして頂かなければならない。そこに例えば、私が合楽で、今おかげを頂いておる様なおかげをです。皆さんの御広前でも頂かれる事になるというお話で御座いました。
 最近私が感じます事はです。本当に神様がね、示現活動の先駆をなさっておられるという事。言うならば、神様が先に立っておられると言う事を感じます。今日の例えば、勿論今日は一日でありますからです。けれどもです。九州の言うなら津々浦々からまでもです。代表的な人達だけではあるけれども、みんなが合楽、合楽と合楽に通うて来ておると言う事は、そのまま私は神様の、そうした示現活動のそれに催されてから、御参拝になっておられる方達ばっかりだと思います。
 今日小倉の田舎の方から参って、お礼に出てきておる方なんか電話で、お礼のお届けしてあったんですけれども、もうそれこそ大きな会社がね、共産党の何とかと弁護士と何かによって、乗っ取られる寸前でした。それをねあのう神様の仰せ通りにしておればね、神様に勝つ事は出来んという御理解じゃった。おかげ頂いて今日話を聞きましたが、どうしてそう言う様な事が出来るだろうかと言った様な、言うなら天地のひっくり返る様なおかげを頂いて、今日はお礼に出て来ておられます。
 そう言う様なおかげでもです。言うならば現在合楽で日々奇跡が起きておると云う事もです。神様のそうした示現活動に皆んなが参画して、愈々神様を信ずる生き方。神様を信じて疑わない、有難い信心生活ができる事の為の物であります。ですから御心に適う思いに添わせて頂く生き方に、先ずはならせて頂かなければなりません。只今老人の方達が、三人三様にいわゆる神様の願いであり、神様の御心である所をです。
 言うならばその景品の中からそれこそ神様が、ものを言うて下さる様な表現で御理解を頂いて、ハァーちったーおもしろか。神様ちゃ中々不思議な方じゃあると言う事だけではなくて、本気でその心にです。私共がならせて頂かなければいけないのです。堤さんの場合は、ただ亀甲だから八の字だからと喜ぶ。そういうおかげを下さろうというのですから、本当に一家中の者が居眠りしておる状態ですから、ここに一つ寝とる者は、起こせば良いのと言う、目を覚まさなければいけんのです。
 中村さんのそれじゃないけれども、本当に実際の所はもうガチャ豆である。それを救う手立てというのはです。この内輪の信心によらなければならないという事なのですから、その事に、本気にならなければいけないのです。高山さんじゃないけれども、本気で一つ自分の頂き方思い方をです。四を「し」で取れば、矢張り死でありますけれども、同じ四でも、それを良い方へ、有難い方へ、有り難い方へと頂いて行くという、稽古をさせて頂くならばです。
 先ずはそれこそカステラ饅頭の様にフワフワの心を頂かなければならない。愈々有難くならなければならない。愈々和賀心を自分の心に頂く事の精進をしなければならないと言う事が解ります。そこに私共は神の声を聞く。又そこに神様の働きを見る。今日私が言うならば、伊万里の市長さん。それから久留米の市長さん。それから鳥栖の市長さんの事をです。続け様にお取次させて頂いた。とても此の事なんかでも、現在、奇跡という言葉をもってするなら、こういう不思議な事はないくらいです。
 そういう働きがあっておる。いわゆるそこに神様の働きを見るというのです。石井信司郎さんが、ただ自分ががむしゃらに連れてこうと思う時には、どっこい動かなかったけれども、お取次ぎを頂いて改めておかげを頂き、もう石井信司郎が行くのじゃない。神様の示現活動に参画さして頂いておるんだという思いでやらして頂いたらです。親子二人の者が導かれて来て、様々な難儀な事のお取次を願う。おかげの段取りが出来るように。そこに、神様の働きを見るのです。
 熊谷さんの話じゃないですけれども、二十五年間自分の話を聞かなかった弟嫁がです。泊まっていってでも話をして行ってくれ。そして明日の朝はお参りに連れて行ってくれと言われるのもです。もうそこに神様の働きをありありと見るのです。だから見たり聞いたりというだけではなく、私共がそういう働きにです。催しに催されておるのですから、催されなければいけません。そこに私は願いがいると思います。
 所謂五つの願いであります。その五つの願いを、本気で成就のおかげを頂いて、そういうおかげを引っ提げての合楽示現活動。愈々言うなら今月が秋の御大祭月であり、十六日はこれから、まっ十六日あるわけで御座いますから十六日間の間に、どれ程しの人に示現活動さして頂こうかという思いに燃えて来なければいけない。そして誰にもお話さして頂こう。縁のある限りの人達にです。
 言うなら宣伝をさせて頂いて十六日の御大祭には、皆さんにお参りさして頂いて良かったと言う様なおかげを頂いて貰わなければいけない。それこそお話を頂きお祭りを拝まして頂きながらです。奇跡が続出しました。この前の夏の御大祭のように、皆さん矢張り願わなければいけないんです。どうでも示現活動に参画さして下さいの御大祭を目指して、幾人幾十人の方に示現活動さして頂く。一人一人がその気にならして頂く時にです。それこそ合楽の御広前が割れる様なお祭りが、奉仕される事でありましょう。
 それはね合楽教会の発展という事だけではなく、その発展がそのまま道の発展、教団の発展。それが愈々大きな光りともなって、輪ともなってそれこそ世界隅々にまでも広がってでも行く様な光りの輪の元ともならなければならんので御座いますから、一つ本気で合楽示現活動に参画さして下さいという願い。どうぞ五つの願いを成就させて下さいという五つの願いを、本気でさして貰わなければならんと思うので御座います。
   どうぞ。